幸せに生きるために入り口の警備を強化する
結局のところ、人生というものは、
・何を取り入れて
・何を発するか
だけです。
【何を取り入れて】は、
情報ということになります。
食べ物だったり、テレビだったり、
スマホだったり、誰と何を話すかだったり。
食べ物も情報ということになります。
「これはこういう食べ物で、
こういう味でこういう効能がありますよー」
という情報を口から摂取して
五感がその情報をキャッチしてるのだから
やっぱり食べ物も情報です。
なので私たちが、
・見るもの
・聞くもの
・触るもの
・嗅ぐもの
・味わうもの
すべてが情報でできており、私たち一人一人は、
そのキャッチした情報のかたまりなのです。
ゆえに何をキャッチするのかは、
とても大事だし、
普段何をキャッチしてるかが
私たち一人一人の個性となり、
何をキャッチするかだけが、
私達に唯一ある選択肢です。
「何を発するかも選択できるんじゃないの?」
と思われるかもしれないが、
できるっちゃできるのだが、
『あなたという情報のかたまりが発する情報』は、
イコール
『あなたが摂取した情報の総和』なのだから、
やっぱりの情報の入り口で
自分の好ましいものを選別した方がよいです。
あとで苦労しません。
入り口で何でもかんでも受け入れて
出口で話すことを
「これはやっちゃいけない。話しちゃいけない」
などと考えながら生活するのは
なかなかにストレスですからね。
入り口で情報を選別することで
出口では何も考えずとも
自分の好ましい情報を発することが
楽にできるようなる。
これがベストです🦺
身口意を一致させて
生活するのが一番ストレスのない状態なのです。
【身口意(しんくい)とは…】
仏教でいう人の行いの3つの源のこと。
・身(しん):体の行動(やっていること)
・口(く):言葉(話していること)
・意(い):心・考え(思っていること)
つまり「何をするか・何を言うか・何を思うか」
たとえば
・心でイライラしてる(意)のに
・優しい言葉を言う(口)
これはストレスになります。
身口意が一致してないからです。
だから普段からイライラを
あおるような情報を遮断するといいです。
猫の動画とか見てればいいのです。笑
じゃあ逆に
・心でイライラする(意)
・きつい言葉を言う(口)
・態度も荒くなる(身)
とすればいいのかというと、
これは身口意が一致してるので
その場ではストレスが発散されます。
しかし周りの人との関係は
ギクシャクするし、何よりも
他者に発した言葉で
一番影響をうけるのは自分自身
なので、
このイライラと怒りをぶつけてる相手は
他者のみならず自分自身ということになります。
すると、
自分を責めてしまったり
イライラと怒りを制御できない自分
という無限ループに
入ってしまいかねません。
なので、
やっぱりより良い自分自身をつくる
一番効果的な方法は、
情報の入り口で選別して
『より良い情報を取り入れる』なのです。
『好ましくない情報を遮断する』
と言ったほうが良いのかもしれません。
何が『より良い情報』なのか
何が『好ましくない情報』なのかは
人によって違うと思いますが、
手段は違えど、
人はみんな「幸せに過ごしたい」
と思って生きてると思うので、
その思いから脱線しなければ、
おのずとあなたが引き寄せる情報は
幸せに生きるための情報になってくると思います。
ちなみに幸せにも
『刹那的な幸せ』と『永続的な幸せ』があります。
僕は『刹那的な幸せ』は若い時に
さんざん追いかけ回しました(笑)
が、やっぱりそれは儚い幸せであったし、
あっという間に崩れ落ちて塵(ちり)と変わりました。
『永続的な幸せ』については、
今やっと「これかな。」っていうのが
分かりかけてきましたのでいずれ書こうと思います。
ではまた(^^)/
【刹那的な幸せとは…】
ほんの一瞬だけ感じる、長続きしない幸せのこと。【刹那(せつな)】は仏教の言葉で、
「きわめて短い時間(瞬間)」という意味なので、
・美味しいものを食べた瞬間の満足
・ギャンブルで勝ったときの高揚感
・誰かに褒められた一瞬の嬉しさ
こういう「その時は気持ちいいけど、
すぐ消えていく幸せ」が刹那的な幸せです。
これが悪いというわけではないけど、
それだけを追い続けると「もっと欲しい」
となって、逆に苦しさが増えることもあります。
シンプルに言うと、
「一瞬の快楽」と
「じわっと続く満足(安心・充実)」は別物ということです。

