自分探しの決定版
『できるだけ何もしない教』を開祖した話
半年前オレは人知れず『できるだけ何もしない教』を開祖した。
この教えは普段から『できるだけ何もしない』と決めた上で、どーしても何かしたくなって、ついついしてしまう事『それが私が本当にしたい事だ』という自分探しの決定版的な教えだ。
この教えによって今のオレは、以下の3つしかしてない
・クルマの運転
・SNS投稿
・音楽
この3つの中でも、ついついどーしても毎日やってしまうのが『投稿』である。
よってオレは、『もの書き』こそが自分のライフワークなのだろうと認識した。
ゆえにこのライフワークを軸に自分の生活を組み立てている。
ということで、オレの生活は『もの書き』と『もの書きのネタになること』のみをやってるのであって『生活のためにもの書き』をしているのではない。
生活のためにもの書きをするとなると、もの書きとしての自由が失われるからである。
これはクレープ屋さんをやってみての教訓である。
最初勢いのあったクレープ屋さんも『生活のため』を繰り返すうちにポジショントークをするようになり、自分の意に反したこともするようになった。
ゆえに自分のライフワークである『もの書き』としての自由は担保しておきたいと考えた。
では、あとの2つ『運転』と『音楽』は何なのか?
『運転』はオレにとって呼吸をするほどに何も考えず何の労力もかけずともできる行為である。なので、いわゆるライスワークとしているものである。
このライスワークはどうやって見つけたかというと、ただ誘われたものである。
誘われるがままにやってみたら、それがいとも簡単にできて稼げる仕事だったという如何にも他力本願的な就活である。
この簡単に稼げるライスワークがある事でオレは『もの書き』というライフワークに自由をもたらすことができている。
そして『音楽』はというと、これは自分の好きな事である。得意かどうかは未だ定かではない。これから10年かけて見極めていこうというものである。
という事で、できるだけ何もしないことで自分のやりたい事できる事を見極めたオレは、この喜びを誰かに伝えたくなった。
なので、臨床心理士の娘とのドライブ中に『できるだけ何もしない教』を開祖したことを打ち明けた。
この教えは普段から『できるだけ何もしない』と決めた上で、どーしても何かしたくなって、ついついしてしまう事『それがその人が本当にしたい事だ』という自分探しの決定版的な教えであり、
「たぶん君もこの教えの信者になりたいだろうが、残念ながら信者は募ってない」と告げたところ、
「信者になるつもりは毛頭ない」と告げられた。
ただその教えは「森田療法に似ているところもある」と娘は言った。
森田療法は不安障害などの治療に用いるもので、治療の初期に何もしないで過ごす期間を設けるという。
そうする事で、心身の回復と次の行動への意欲を引き出すのだと娘は言った。
「なるほど、その森田というヤツもなかなかの教えを解いてるな」とオレが感心すると
「森田先生のは教えではなく治療法だ」と娘が言う。
こうして、あんまり娘の理解を得られなかったオレはこの残念な気持ちをこの文章にのっけることにした。
『できるだけ何もしない教』信者は募っていないが、興味のある方は各自おのおのやってくれ。


力を抜いてる時に自然と湧き出てきたものが本当にしたいことなんでしょうね、とても分かります。
娘さんとの会話にふふっとなりました笑
自分がやりたいことを探すために色々やりがちですが、逆に何もしないという選択…
とても参考になる面白い視点でした ( ˊᵕˋ* )